『見える恐怖』(ナーザ・ネルム)
レビュアー:リーダ・ピアリー
パディアのことわざ研究者。主な著作に『俚諺が表現する』(叢書)、『世界ことわざツッコミ詳解辞典』などがある。ことわざや格言、慣用句や故事などの解説を通して歴史や思想、文化について分析するというコンセプトで編まれた叢書『俚諺が表現する』シリーズで、セレンディール図書館賞を受賞。
不謹慎だが、笑ってしまった。それが、「透迷」という拷問を初めて知った時の反応である。
「透迷」は通称で、「透過迷宮」が正式名称だ。名の通り、透明な素材で作られた複雑な迷宮に罪人を閉じ込め、そこから脱出しようと必死になる姿、脱出不可能であると悟り、絶望、恐怖、苦痛、屈辱の中で死んでいく様を大勢の観客の前で見られるという、非常に残虐且つ悪趣味(残虐でもなく悪趣味でもない拷問などないけれど)な拷問であった。
更に悪趣味さについて付け加えると、この「迷宮」では、透明であることを活かし、危険な猛獣や水、武器を持った他の罪人を放つなどして、より恐怖感を高め、また観客が興奮するよう、おぞましい演出をすることも多かったのだ。人間の底意地の悪さをとことん見せつけてくれるというかなんというか。
この「透過迷宮」、主に「隠し事」に関わる犯罪に対して、「恐怖、苦しみ、そして死を大勢に徹底的に見られる」ようにするという、皮肉をきかせた刑であったが、犯罪というものの性質上(隠すことと無縁の犯罪なんてありませんね)、ほとんどの犯罪に適用できるため、実質的には権力者の意向ひとつで「透迷」刑を下されることが多かった。
さて、この陰湿且つ陰険、悪趣味で残虐、おぞましさ極まるこの拷問のどこに、笑える要素があるというのだろうか?
「ヴェルナトールの透迷廃止」という言葉がある。もちろん、あのヴェルナトールである。知らない人はいないですね。なんと、「透迷」を廃止したのはあのヴェルナトールだった!これはなかなかの衝撃。私も、えっ、そうなの、と驚いた。むしろヴェルナトールが考案したと言われるほうが納得である。意外と、人道的なところもあったのか?甘い。この言葉の意味は
「行為は立派なのに、それを行った理由はひどいこと」
のたとえなのだ。
透迷廃止の理由、それは「醜いから」だった!
もがき苦しみ、恐怖に叫ぶ受刑者たちの姿や、それを観て熱狂的に声を張り上げる観衆たちの醜さにうんざりして、廃止したのだそうだ。「透明はみにくい」ってわけです。悪名高い残虐な拷問が廃止されたのは、人道的観点ではなく、美的観点だったのだ!
当時、子どもだった私は、この由来を知って笑いが止まらなくなってしまった。何が笑いを引き起こしたのか、今となってはまったくわからない。もちろん、今は、まったく、笑えません。
ただ、私はやはり、不謹慎なことに変わりはなかった。本書はまったく笑えないのだが、面白かったのである。読み終えるまで、目を離せなかった。要するに、拷問の話を楽しんだのである。いや、拷問が面白いのではなく、「本」が面白いのである。読書好きな方であればご理解いただけるだろう。
同著者の名著『拷問に使われた生物』はもはや人類全てが読むべき義務を負った本として人禍記念博物館の「人禍記録指定図書」に選出されているが、本書も、「人」を知るために読まねばならない本ではなかろうか。
“人は、暗闇を、「見えないこと」を恐れ、明るさに、「見えること」に勇気と希望を見出す。だが、「見える」ことこそが、真の恐怖と絶望を人に与える、かつて、そんな拷問があった。その名を透迷、正式名称を透過迷宮と言う。”
『見える恐怖』前書きより一部抜粋