『解題誘いの諍い 山応応酬紹介と詳解』(メゼル・イーディン)

レビュアー:リーゼク・ナヴァル。ナーディルのジャーナリスト、法学者。ナーディル国立中央法学院卒業。分野は問わず、誰かの“志を継ぐ人”を取材したロングインタビュー集『継承者』シリーズで知られる。本シリーズの『継承者:ゼーヴル・ディルーズ』でヴィーレ・クレグディール賞を受賞し、若くして国際的な名声を得た。ルーレク・レナリー遺跡行方不明事件(第三次調査隊に参加)にて、行方不明となる。

大人気ない・・・・・・大人気ないぞこの人たち!もう、子どもの喧嘩である。やり方だけが高度というか文化的というか、でも、やっぱり、大人気ない。というか、本気で喧嘩していたのかもわからない。実は楽しんでいたのでは?しかし、それにしては辛辣すぎる気も・・・・・・やはり、ただの大人気ない人たちだったのでしょう。

山応応酬。すでに伝説となっているこの論争、まぁ、説明はいりませんね。山応で、互いをこき下ろしてまくって、表現とは何か?ということを議論・・・・・・いや、相手を罵倒し尽くしたのです。あくまでも、山応(訳注:地球で言えば地口に相当する表現のこと。ことわざなどを、似た発音の別の言葉に変える言葉遊び)で。いい大人のただの罵倒合戦なら見るに堪えないだけの醜聞でしかないですが、これを山応で応酬するとなればあら不思議、歴史にも残る珍事として教科書にも載ってしまうのだから面白いものです。

意外と本格的な議論の応酬なので、ここでは、かなり端折っての紹介となりますが、本書ではその議論についてもしっかり過不足なく解説してくれるのです(めっちゃ勉強になります)。

まず、事の起こりは、「エンタメの帝王」ジーデル・ナダリード氏が、例によって挑発的な発言を繰り出したことに始まります。要するに、稼げない作品になど微塵の価値もないという、ヒット作品に恵まれないあらゆる作家や芸術家を怒らせる主張ですね。

これに憤怒した「売れない作家」(本人による表現です)カダ・リーナイ氏が、それは違うだろう!作品を作るというのは、お金だけが目的などではない!と反論記事を出したのですが、この記事のタイトルが、ジーデル・ナダリード氏の言葉として有名な「開催誘いの快哉」(人を喜ばせれば成功する、という意味)を山応した「快哉誘いの題材」、つまり売れることだけを目的に、人気のある題材で作品を作ることは媚びだ、というなかなかに強烈なもの。なぜ、山応で返したかと言うと、発端の言葉「開催誘いの快哉」が、昔からある言葉「禍誘いの幸い」を山応したものだったからです。なかなかに粋は返しではありませんか。

が、「エンタメの帝王」であること以上に「負けず嫌いの帝王」でもあるジーデル・ナダリード氏。これにまた山応して「支払い要らないの最下位」 と返しました。要するに、人気など出なくてもよい(稼げなくてもいい)と独りよがりの作品を作っているようでは、結局、その作品は誰にも支持されず(売り上げ最下位)消える、とボフリ返し(訳注:喧嘩を吹っかけられた時に、極端に激しく反応すること)したのです。ああ、大人気ない。楽しい。

が、カダ・リーナイ氏も「売れない作家」の矜持があります。すかさずバネ返し。「財界うかがいの代替」・・・・・・金のためだけに作る作品は、人気とりのため(出資者を納得させるためも含む)に、どれもこれも似たようなものにしかならないのだ、実につまらないことだ、と・・・・・・大人気ない、嬉しくなるくらい、大人気ない。ふふふふふ。もう、この山応応酬が続くなら、むしろ大人気ないほうがありがたいというものです。

当然のごとく、ジーデル・ナダリード氏もまた・・・・・・というわけで、キリが無いので、大まかにまとめると、以下のように続きました。以下敬称略。

元となった言葉:「禍誘いの幸い」【わざわいいざないのさいわい】

「開催誘いの快哉」 【かいさいいざないのかいさい】(ジーデル・ナダリード)

人を楽しませたり喜ばせたりすれば、自分がやりたいことを実現できる、の意。

「快哉誘いの題材」 【かいさいいざないのだいざい】(カダ・リーナイ)

売れることだけを目的に、人気のある題材で作品を作ること。

「支払い要らないの最下位」 【しはらいいらないのさいかい】(ジーデル・ナダリード)

人気などでなくてもよい(稼げなくてもいい)と独りよがりの作品を作っているようでは、結局、その作品は誰にも支持されず(売り上げ最下位)消える、の意。

「財界うかがいの代替」 【ざいかいうかがいのだいたい】 (カダ・リーナイ)

金のためだけに作る作品は、人気とりのため(出資者を納得させるためも含む)に、どれもこれも似たようなものにしかならない、の意。

「界隈へつらいの排外」 【かいわいへつらいのはいがい】(ジーデル・ナダリード)

同じような価値観だけの狭いコミュニティの中での身内受けだけに汲々として、その狭苦しい価値観以外の全てを排斥する偏狭な態度のこと。

「在来しかないの毎回」 【ざいらいしかないのまいかい】 (カダ・リーナイ)

新しいことに挑戦せず、ずっと同じ事ばかりの繰り返しであること。

「自己愛しかないの場違い」【じこあいしかないのばちがい】(ジーデル・ナダリード)

ただ自分が評価されたいという承認欲求しかない人や作品は誰にも受け入れられない、の意。

「売れたいしかないの蒙昧」 【うれたいしかないのもうまい】(カダ・リーナイ)

金銭的成功しか頭になく、教養や審美眼など皆無である、の意。ただ売れることのみを目的とするような者には自分の軸というものがなく、他者におもねるだけで、すでに売れているものの模倣ばかりであり、自分で考え、学び、創意工夫するということがない、という批判。

「すげない読まれないのもう無い」【すげないよまれないのもうない】(ジーデル・ナダリード)

自分本位で他者を軽視するような態度では誰にも相手にされない、の意。読み手のことを考えない独りよがりな作品は誰にも読まれず消えてゆき、後世に残らない、という嘲り。

「恥じらい知らないの改題」【はじらいしらないのかいだい】 (カダ・リーナイ)

金儲けや成功のためなら何でもする恥知らず、の意。売れるためだけに、すでに成功している作品を表層だけ変えて作って売る、と侮蔑する表現。

「交じらい敵対の尊大」【まじらいてきたいのそんだい】(ジーデル・ナダリード)

皆が楽しめるようなものは浅くてくだらないと蔑む偏狭且つ尊大な態度のこと。

「想定超えないの倦怠」【そうていこえないのけんたい】(カダ・リーナイ)

ありきたりなことしかしない平凡な人や作品にうんざりすること。

「再刊されないの高邁」【さいかんされないのこうまい】(ジーデル・ナダリード)

志は立派だが、理想ばかりが先行して、実績を出せないこと。

「傀儡疑いの醜態」 【かいらいうたがいのしゅうたい】(カダ・リーナイ)

他者の言いなりになっているのではないかと疑われるほど主体性がなく、みっともない様。売れるために、(出版社などに)こう書けと言われて書いているんじゃないのかと疑われても仕方ないくらいに、決まり切った展開ばかりで思想も何もない作品を書くようなみっともなさだ、とこきおろす罵り言葉。

「明快成敗の形骸」【めいかいせいばいのけいがい】(ジーデル・ナダリード)

内容に関係無く、わかりやすい表現であること自体を悪いことであると断じる態度のこと。

「三回読めないの展開」【さんかいよめないのてんかい】(カダ・リーナイ)

物語構成が単純過ぎて飽きてしまい、とても再読などできないほどに退屈であること。

まぁ、見ればわかると思うんですが、後半(まだ続いているので、「後半」かどうかわからないのですが)に入ってくるともう、議論ではなくただの喧嘩ですね。とはいえ、この論争はとにかく面白い。これをきっかけに「表現とは何か」「創作とは何か」などについての議論が世界中で活発になった、と。こういう喧嘩なら大歓迎であります!

あ、書くまでもないと思いますが、本書のタイトルももちろん、「禍誘いの幸い」の山応です。サブタイトルもギャグをかましている・・・・・・なんかもう、関わる人みんな大人気なくて最高です。なんだかんだで、皆が注目し、楽しめるエンターテインメントになって(しまって)いる・・・・・・さすが「エンタメの帝王」ジーデル・ナダリード。その呼び名に偽りなし!

訳注

山応(句)・山応歌【さんのう(く)・さんのうか】

テルンやカナ、ルカイルなど、カナルーア山脈中およびその周辺地域で古くから親しまれ、特にテルンを通じて世界中に伝播し、愛好されてきた、ことわざなどを、似た発音の別の言葉に変える言葉遊び。山応歌は、その山応(句)を連ねて作られた歌。一般にもよく知られている山応歌に、『禍誘いの占い』がある。

名の元となった「山応(さんのう)」は、山で音や声が反響する現象を表す言葉。山で声が反響するように(概ね)同じ発音の文が続くことから。

訳者注:「山応(さんのう)」は、日本語の「山彦」「木霊」に相当する言葉だが、「山彦」「木霊」は「山の神」や「精霊」などによるという由来のある言葉なのに対して、原語では「山自身が応じる」という神話が由来なので、「山応」という造語による訳とした。